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ピャスト王朝の年表
以下は、ポーランドのピャスト王朝(960年頃~1370年)の重要な出来事を年代順にまとめた年表です。


10世紀
960年頃:ミェシュコ1世がポーランドの統治者として登場。ピャスト王朝の始まり。

966年:ミェシュコ1世がキリスト教に改宗(ポーランドの洗礼)。これにより、ポーランドは西ヨーロッパの文化圏に加わる。

972年:オドラ川流域で起きたツェディニアの戦いでドイツ軍を破り、独立を守る。


11世紀
1025年:ボレスワフ1世勇敢王がポーランド初の国王として戴冠。同年、彼の死後、息子のミェシュコ2世ランベルトが王位を継ぐ。

1031年:ドイツとキエフ大公国による攻撃を受け、ミェシュコ2世が退位に追い込まれる。内乱が続く。

1039年:カジミェシュ1世復興王がポーランドを再統一。国の再建を進め、首都をグニェズノからクラクフに移す。

1076年:ボレスワフ2世大胆王が戴冠し、教皇と良好な関係を築く。

1079年:ボレスワフ2世がクーデターで廃位され、弟のヴワディスワフ1世ヘルマンが統治者となる。


12世紀
1138年:ボレスワフ3世曲唇公が死去。遺言により、ポーランドは分裂状態(分割統治)に入る。この時期を「ポーランド分裂時代」と呼ぶ。

1177年:クラクフ公カジミェシュ2世がポーランドの統一を試みるが失敗。


13世紀
1226年:マゾフシェ公コンラト1世がドイツ騎士団を呼び寄せ、異教徒プルーセン人への遠征を依頼。

1241年:モンゴルの侵略(ワールシュタットの戦い)により壊滅的な被害を受ける。

1295年:プシェミスウ2世が国王として戴冠。ポーランド分裂時代が終わりつつある兆候。

1300年:ボヘミア王ヴァーツラフ2世がポーランド王位を継承するが、ピャスト家の影響力は弱体化。


14世紀
1320年:ヴワディスワフ1世短躯王が戴冠し、ポーランドの統一を達成。ピャスト王朝が復活。

1333年:カジミェシュ3世大王が即位。ポーランド最後のピャスト家国王となり、内政・外交の発展を進める。

1364年:カジミェシュ3世がクラクフ大学(現ヤギェウォ大学)を創設。

1370年:カジミェシュ3世大王が死去し、ピャスト王朝が断絶。姉妹の子孫であるアンジュー家が後を継ぐ。